<画像は講師の昔の制作風景です>
遅くなりましたが、今年最初のブログなので、今回は広い視点での話を少し書きます。
内容は、私が教室で絵画の指導する上で重要に思っていることで、中学校などの美術教師の方にも見ていただきたい内容です。
私はプロとして作家活動もしていますが、なぜそんなことを続けているのか疑問に思う方もいるのではないでしょうか?
私の場合は、作品をつくることで「世界をどう見るか(見えるか)」という発見が常にあるからで、教室でもそのような視点で指導をしています。
という話をすると、漠然とするのでここからは具体的に書きます。
まず、前提として実は人は日常的に物を見ていません。
目には映していますが、実は見ていなくて、本人のが思う観念的なイメージで誰でも普段生活しています。
これから話すことは、よく生徒さんしているのですが『脳の右側で描け』という本に詳しく書いてあるのでお勧めします。
私も浪人生時代に読んで、とても勉強になりました。
例えば、上の写真のように2本の鉛筆を見せて、
「これは同じものですよね?」と生徒さんに質問すると、うなずきます。
その後に「でも、違うものですよね?」と質問すると、生徒さんはうなずいたり、考えたりします。
写真は同じメーカーの同じ種類の鉛筆ですが、そもそも同じものはこの世界に存在しません。
つまり、「同じある」というグループ分け(体系化)は人間が勝手にやっていることとも言えます。
例えば、SF作品でクローン人間が自分のアイデンティについて考える話がありますが、やはり本当に同じなものや存在はこの世にありません。
無自覚だとしても、そこに違いは存在ます。
では、上の画像のような、2つの鉛筆を「違うもの」と認識するにはどうすればいいでしょうか?
ここで「観察」という、絵を描く上で重要な視点が出てきます。
例えば、印刷の違い、ちょっとしたキズ、汚れなど、実際の物からいろいろな発見をしていくことで、それは唯一無二の存在となります。
また、触ってみること大切です。
「視覚情報は全体の8割」という話がありますが、残り2割を感じることもとても重要で、新しい発見があると思います。
例えば、この鉛筆も触ってみると、印刷してある部分が凹んでいたり、目で見るだけではわかりづらいことを気づいたりします。
絵を描く上での「観察」とは、このように自分の観念的なイメージと、実際の物との違いを認識することにあります。
間違い探しのように、ゲーム感覚で楽しんでみるのも、とてもいいと思います。
児童画(風)のイラスト
※イラストACさんの素材を使用しています。
顔の縦幅に対して目の比率の基準
人の顔を、それなりに自然に描くことは難しいです。
顔は日常的に見ているし、自分にもあるので、ちょっとしたズレなどが目立ちやすいです。
この話も教室でよく話しますが、児童画(小学生までの絵)や、絵が苦手な人の顔の描き方のパターンがあります。
それは、顔の比率です。
上の画像のように、児童画や絵が苦手な人が顔を描く場合、目からの上の比率が狭くなります。
これは、顔を自分の頭の中のイメージで描いているからです。
「顔」のイメージすると、「目、鼻、口」が誰でも浮かぶと思います。
絵を描くときには、このように強く印象に残ったものは、描く場合に大きくなる傾向があります。
児童画で、人間よりも建物が小さいことはよくありますが、これも上記のような理由です。
子供に限らず、このように私たちは日常で、実は物を見てなく、観念的なイメージとして処理しています。
だからこそ、物を「観察して」自然に描くのは難しく、「よく見て(観て)描きましょう」と大体の先生は言う訳です。
そして、それをすることは、日常的な視点から「世界を見方を変えること」に繋がります。
日常的な見方
物の形ではなく、隙間の形に注目した見方
ものすごく具体的な「視点」の例としては、上の画像のように物と隙間のネガポジを反転して見るということがあります。
先程、説明したように、物の形(特に輪郭)を描くときには、どうしても「自分の頭の中の観念的なイメージ」が入りやすいです。
その半面、隙間の形は物ではないので、観念的なイメージすることが難しいのです。
その点でいうと、この隙間は案外、物よりも「観察しやすい」とも言えます。
そして、隙間の形を描くという「視点の切り替え」が、結果的にモチーフを描くことになります。
また、物と隙間の2つの視点で確認ができるので、より正確な形を描けます。
このような「視点切り替えは」は視覚的な意味だけでなく、「考え方の切り替え」と認識することが大切です。
ただのテクニックではなく思考なのです。
また、教室である程度形を正確に描きたい生徒さんは、はかり棒という、モチーフの角度や比率をはかるための棒を使います。
これも、ただ漠然と見ていると主観的になるので、自分の意識とは関係ない客観的な基準として使用しています。
カラーとモノクロとの違い
カラーとモノクロの違いという視点も絵を描く上でとても重要になります。
先に結論をいうと、「モチーフや空間の距離感の基準は基本的にモノクロである」ということです。
正確には、モノクロといういうよりも「明暗(光の変化)」なのですが、デッサンをモノクロで描くのもこれが関係しています。
実は、デッサンは光の変化を描くことであり、私達が見えているのも光の変化です。
当然ですが、真っ暗な空間では何も見えません。
カラーになって色が増えるほど、実際の距離感と違った印象で見えてしまうことが多々あるので、
描く力がある人は、カラーで描いていても頭の中でモノクロに切り替えて描いていたりします。
「色の3要素」など説明はここでは省きますが、とりあえず上の写真を見てみましょう。
カラーだとすごくメリハリがありますが、モノクロにすると赤丸の部分の差がほとんどありません。
そして、上記に書いたように距離感の基準は明暗(光の変化)です。
なぜ、明暗が基準なのかの理由は、モノクロの画像は色がなくても立体感がわかるからです。
白~黒の階調(グレースケール)は実は、厳密には色に入りません。
それに対して、カラーの画像から明暗を抜いてしまうと、ただの色だけになってしまいます。
そのようなことで、物をある程度リアルに描くには、イラストも含めて、
デッサン力(モチーフを観察する力と、明暗で描く力)がどうしても必要になってきます。
イラストの場合で、デフォルメして描く場合でも、かなり影響があります。
これらのことも、ただのテクニックとして捉えるか、発想や視点を変えると捉えるかで全く違います。
そして、後者を本当に理解するには、やはり自分が体験することが非常に重要です。
このように、絵を描くことは、物事について様々な視点で捉えることであり、
それは、「世界をどう見るか」という視野を広げることなります。
私自身が、作家活動を続けているのも、この魅力があるからです。
今回は、説明しやすいので、物の形をある程度正確に描く方法を通して説明しましたが、いろんな方法で視点は広がります。
もちろん、このことは絵画に限らず、実はいろんな物事にいえることです。
私は高校時代にバスケットボール部だったのですが、そのことが絵を描くことや、視野を広げる上で助けになっている部分もあります。
また、指導者は「この手段は何の目的であるのか」を自分自身が実際に体験して、
その体験を生徒に伝え、体験させることが、とても大切に思えます。
この実体験がない場合は、それこそ観念的なイメージのつまらない授業になってしまうでしょう。
私も、出来るだけ自分が経験したことを通して、「世界をどう見るか」という視点を伝えていきたいと思います。
そして、それを超える体験を生徒さんと共有できれば幸いです。
※こちらは私が持っている旧バージョンの本になります。最新版のリンクはブログの最初の方にあります。